転がる種

映画、本、音楽、食、美術…。日常で出会う種々。

『シーモア先生と大人の人生入門』

 ある指揮者の方に、「才能がある人に、性格が悪い人というのがままいますが、それはどうなんでしょうね?」と伺った。

 すると、その人は「まあ、それはしょうがないですよね」と苦笑いをされ、「実際、そういうケースはありますもんね」とおっしゃった。

 

「物質的な豊かさや地位では幸せになれない。それなのに、人生はまるで金儲けで成功するためのゲームだ」とドキュメンタリーのなかで言うのは、俳優のイーサン・ホーク。彼がこの映画の監督である。

 ではどうしたらいいのか。「シーモア先生」に答えを求めた。

 シーモア先生ことシーモアバーンスタインは、ピアニストであり、作曲家。ピアノの先生でもある。

 彼の立ち居振る舞い、眼差し、なにか口にする言葉。イーサン・ホークは、シーモア先生から本物の幸せの匂いを嗅ぎ取った。

 

 映画のなかで、シーモア先生は冒頭と同じ質問に答えている。

 「たとえばM.ブランドなどは性格が悪いと有名ですが、才能があるとそうなるんでしょうか?」

「それは、二つが相反して、矛盾しているからだよ」とシーモア先生。シーモア先生の傍らにいる、いかにもピアニストらしい指を持つ教え子が代わりに続ける。

「すべてが音楽なんです。日常生活もすべて。ピアノの音を繊細に聞くように、相手の話や、その奥にある感情を読み取るんです」

 音楽は音楽、日常生活は日常生活と分離させない、切り離さない。すべてに音楽をみることで、音楽がより豊かになる。

「不思議なもので、周囲と喧嘩をしたりして不調和があると、音もダメなんだよ」とシーモア先生。

 

 プロのピアニストとして聴衆を魅了し、手厳しい評論家からも好評を得ていたシーモアバーンスタインは、ある日、講演活動を止める決意をする。

 講演を始める前の緊張感に耐えられなくなったこと、大衆が求める音楽と芸術家としての音楽への希求のズレが大きすぎること。主にそれらが止める原因だったという。

「先生は僕に、才能のある人間はその才能を社会に使うべきだと言っていました。先生はいま、才能の浪費をしているのではないですか」

 と、プロのピアニストである弟子が問うと、

「私は、講演を止めてからとても幸せだ。それに私の才能は君に注いでいるだろう」と答えた。

 音楽を愛するからこそ、同じ音楽を愛する後続に惜しみない愛情を注ぐのだ。

 

 「宗教は、神がいると信じないと始まらないけれど、音楽は違う。まず楽譜は、神の言葉なんだからね」とシーモア先生。

 ピアノは感情を表現する。自分の感情、作曲家の感情、さらに神の感情を。

 ピアノを表現する技術を高めるには、数千ともなる途方もない時間が費やされる。が、それだけの価値はあるのだな、とシーモア先生の高い技術と深い示唆に裏打ちされた個人レッスンの様子を見ていると納得する。

 映画では最後にシーモア先生が、シーモアバーンスタインに戻り、演奏している。彼には天使のはしごが架かっていた。

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